9月の生活表より・・・。

 この夏、実家のリビングで西瓜を頬張っていると目の前に座っていた母が「まぁ、あなた!おじいちゃん(母の父)にそっくりね!」と声をあげた。物心ついた頃から父方の祖母に似ていると言われ、大人になってからは父によく似ていると言われていた私、母の言葉にとても意外な気がしました。
 実際、私の左耳のつけ根の真ん中あたりには、少し太めの針でポツンと穴をあけたような穴があり、祖母の耳にもそれはありました。長崎県五島列島出身の熱心なクリスチャンである祖母は普段から着物を愛用し、80歳をとうに超えてもきちんと正座をし、その昔学校の先生をしていたらしく威厳があり、幼い私にとっては近寄りがたい存在だったのです。5人姉妹の4番目の私は、姉たちの陰に隠れてなるべく近寄らないようにしていたのだけれど、ある時、私の耳の穴を祖母自身がみつけ「あぁ!この子には私とおなじところにおなじものがある!」と喜んでいたことをぼんやりと憶えています。
 時は30年以上流れ、私も母になり夫と2人、赤ちゃんの○○を見つめていたところ「○○ちゃんの鼻の先に縦の線があるね、これっておばあちゃんにもあったよ。そういえばうちの姉貴にもある。」と言い出しました。夫の実家の写真の中のおばあちゃまは日本画を嗜み、穏やかに微笑んでいます。広島郊外から市内に学徒動員に駆り出された2人の息子を亡くされたとは思えないほどです。広島に原爆が投下された日、県立広島工業学校の1年生と3年生(いまでいう中学生)の最愛の息子たちを捜し、死に物狂いで焦土と化した街をさまよったというおばあちゃま・・・。子どもをもつ今、尚更に心中を察し胸が痛くなります。
 産院で生後すぐの☆☆を撮った写真は私の母と瓜二つだし、何年か前に宮島に帰省した際にお会いした写真のおばあちゃまに息子は似ているなぁ、と思った時もありました。現在は夫と本当によく似ています。今を生きる私たちの名かに、ふとした折りに遠い昔であった懐かしい人々の面影や大切なひとたちの影を見出した時、繋がる生命の不思議さを憶えるとともに「頑張って生きんさいよ(生きなさいよ)!!」というメッセージがどこからか聞こえるような気がするのです。